カンボジアダイレクトアクションでは、大変お世話になりました。日本にいるだけでは体験できない、心と体と魂で世界を感じる体験が出来たと思います。

カンボジアが抱える問題は、カンボジアだけのものではなく、どこの国にもその根底に流れているものなのだとも感じました。それはセアロがおっしゃり続けている自立、環境に関係なく自分自身を生きる事を喜び、誇りに思える生き方を一人一人がしているかどうか…。

カンボジアは過去の政権の傷から、特にそれが難しい状況にあるけれど、日本に生きる私たちにしても、同じテーマはあると思います。今回のカンボジアツアーでは、日本よりももっと困難な中、新しい真実の生き方を選び始めようとする子供たちと人々の魂の輝きに触れ、国民の真実の豊かさを願うプリンセスの深い愛のエネルギーに触れ、世界に横たわる重い陰の存在にも触れ…、でも自分の中の真実を信じて、一人一人の一歩から始めるしかないのだと痛感させられた旅でした。

何が起ころうとも、変わらずに歩みを続けていくということの~神の歩みの凄さ~を改めて知ることが出来た旅でもありました。

今は自分自身の面倒も見つつ、違う場所で同じ課題に立ち向かい取り組んでいる仲間たちと、お互いの今出来ることをサポートしあいながら、一歩一歩を歩んでいけたらと思っています。

今、具体的に行おうと思っていることは、より多くの方に新しい生き方を始めるきっかけとなる機会を自分なりに提供していけたらと思い、NPO代表のガユーナ・セアロ氏を招いてのお話会等を催させていただいたり、仲間と共にミャンマーやカンボジアに買い付けに行き、自分達なりにお金の流れを作っていけるように基盤を築いていくことや、心の平安を味わう機会を持ってもらったり、NPOの活動を知ってもらう会を開催したりなどしています。

でも何よりも真に自分が喜べる生き方を、生きていきたいと思っています。それがきっと~神~という存在が最も私たちに願われていることなのでしょうから…!感謝。

内田朱美     


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おたより <内田朱美さん>   

更新2005年1月

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記録誌* あまりあさん<2004年12月>
おたより* 大久保登美子さん<2004年12月>
おたより* 内田朱美さん<2005年1月>
おたより* 山崎圭子さん<2005年1月>
おたより* Sayuri Yamamachiさん<2005年1月>
おたより* MARI <2005年1月>
おたより* 松村桂子さん<2005年1月16日>

おたより <山崎圭子さん>   

更新2005年1月

カンボジア・ダイレクトアクションツアーに参加させていただいて、とても印象的だ ったのは、自分の中での「愛」についてのイメージの変化です。

以前、「愛」ということばに、もっとふわふわとやわらかく、ひたすらやさしく、と もすると儚げなものをイメージしていました。でも、ほんとうの愛は、そんなヤワなものじゃあない。今の私は、愛に、揺るぎない強さとたくましさを感じます。そしてそれは言葉を超え、実感として私の中に芽生え、私自身を大地に深く根づかせ てくれる、そんな感じがしています。

人道支援の、その先にある願い。。。そんなこともずっと考えていました。表現がとても難しいのだけれど・・・今回の旅の中、目指しているものは、支援その ものではないのだということも、改めで自分の中に確認していたように思います。

セアロがおっしゃる「自立」とは大変深く、私にとっては、生きて悟る、その境地の ように思えます。そんな自立は、どの国に生まれようと、どこに住んでいようと、今どのような状況に あろうと、誰にとってもの大きな目標です。

大切なのは、過去を振り返り、掘り下げることではなく、何を願い、目指して、今ここからどう生きていきたいのか、生きていくのかということ。意識という光を自らの内にもたらし、真の精神性への理解が深まって、高まって、そ れぞれの個性の中で育まれ、成熟し、自己成長を遂げていくこと。

平和への鍵は、それぞれの内側にあって、そして今私たちに必要なのは、その器をもって、真に平和を願い、そこへ向かって行 為することなのだと強く感じています。

平和への行為とは、ひとりひとりが心に自立の意志を持ち、自分自身で立ち上がろうとする中で、お互いを心から認め合い、手と手、心と心を通わせて、本当の意味で人と人とが生きる喜びをもってつながっていくことのような気がします。そしてそのことこそが、真の霊性を開き、それを大地に降ろし根づかせ、天と地をつ なぐ架け橋となるのではないか、と。

精神の高まりも、成熟も、生命の躍動も、ともに生きる喜びも、きっと、そのすべては愛に還元されていくもの。その過程を、その器を、分かち合いたい。

このとき、私たち日本人ひとりひとりが目覚め、具体的にできること、世界に分かち合えることは、本当にたくさんあると思えてなりません。人の数だけ、個性を生かした、いろんなアイデアもあると思います。どんなに小さな一歩でも、それが何千、何万、何億と集まったら、そこに生まれるパ ワーはどんなにか大きなものになることでしょう。
そのためには、人がなんとかしてくれるのを待たず、「わたし」から最初の一歩を踏 み出すことがとても重要なんだと感じています。

・・・今、心から平和を願い行動につなげていこうとしている人たちと、どんどんつながって、体験から学んだこと、日々の気づきなどいろいろにシェアし合い、その時々で、とも に祈りを形にしていきたい。互いに磨きあい、幸せなお金の循環も生み出したい。私が私であることを大いに楽しみながら、自分の足元から、その波を広げていこうと 思います。

山崎圭子


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<人道支援+奉仕活動普及啓発事業:2004年11月18〜12月10日実施>
日本に向かう飛行機の中、私は頭から毛布をかぶっていました。まるで私の中で爆発が起きたみたいに、目から、胸の中心から、あたたかいものがずっと溢れ出てきて止まらなかったから・・・それはセアロと初めてお会いした時のそれと、まったく同じ感覚でした。
 
カンボジアを発つ日、最後にドリーム孤児院に行ったときのことです。私は隣に座っている少年に気持ちを伝えたくてカンボジア語の本を開いていました。彼も辞書を持ってきて、一生懸命日本語で何かを伝えようとしていました。
 
混沌とした国で流されることなく、正しい心・希望・夢を持ち、カンボジアの地にしっかりと根を張り自立していこうとしている彼らに、いつまでもその気持ちを忘れないで・・・どんなに離れていてもあなたたちのことを思っているよ・・・
日本に帰ったら私も頑張るね・・・必ずまた来るから、etc etc と伝えたかった。でも伝えられないまま時間だけがむなしく過ぎて、もう出発だから車に乗るようにと誰かの声が聞こえました。子供たちと洋子さんにお別れをして車に乗ろうとした時、さっきの少年が私の腕をつかんでこう言ったのです。
「I love you. My mother」
 
「私もよ」それだけ言って私はぎゅっと彼を抱きしめました。本当にそれだけでよかったんです。愛してる、その気持ちだけで、たくさんの言葉なんていらなかった。ありがとう、教えてくれて。私もあなた達を愛してる・・・
 
人を愛するって、なんて心地よいのでしょう。その思いだけで幸せに満たされ、ずっと生きていけるような気がします。
でも今、同時にその愛が私を奮い立たせ、動き出す勇気も与えてくれていることを感じます。
 
私は今まで、書きつくすことができないほどたくさんのものをセアロからいただきました。今、こうしてその一つ一つを思い出すだけで、喜びで胸が振るえ、涙が頬を伝ってきます。ほんとうにありがとうございました。あみ夏さん、ありがとう。ドリーム孤児院のみんな、ありがとう。カンボジアに一緒に行った仲間たち、いつも見守っていてくれる大切な私の家族、みんなみんな、ありがとう。
今度は私が、私の中から溢れるこの思いを誰かのために使わせてもらいたい、これからの私の人生に起こる全てを愛でいっぱいにしたい、素敵な中間達と共に・・・・♪
 
Global  Harmony  Engels  / Sayuri  Yamamachi



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おたより <Sayuri Yamamachiさん>   
        Global Harmony Engels

更新2005年1月

忙しいセアロさんには他にいろいろな活動の仕方があると思うが、直に動くことの意味はとても大きいと思う。触れ合う人々に見せているのだと思う、自分がどのように考え、行動するのかを。
 
何も持たないセアロさんが、淡々と行動し人々を導く様子は人に勇気を与えるのだと思う。尊敬できる人と人生で出会う事が、特に子供達には大切なのだと思う。
 
そこには愛と知恵があるのみ。それだけで、いいなんて、単純だけど信じられない。なんと余分なものばかり集めて苦しんでいるのだろう。
 
私自身は、とても面白く意義のある活動を目のあたりにして活躍したい!!という気持ちと、活躍できない。という気持ちがあって欲求不満状態でした。今まで個性を出し目立つことは悪いことだと思っていました。悪いことというより痛い目にあうことなんだと怖くなっています。

参加者が読んでいた「ジージとの再会」を帰国後読んで、個性的をなのは悪いことではないのだな。と思いました。今は過去の心の傷(習慣)を治したいと思っています。
 
セアロさん、参加した皆様、本当にありがとうございました。

MARI


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おたより <MARIさん>   

更新2005年1月

カンボジア6日間
カンボジア6日間
カンボジア6日間
カンボジア6日間
海外ダイレクトアクション・カンボジア6日間
カンボジア6日間

おたより <松村桂子さん>   

更新2005年1月

去年の9月セアロにお会いした時、あるメッセージをいただきました。
「外に向かってactiveに、もっとactiveに! そして外に出て奉仕をしなさい! 泥んこになって、汗をかいて!」
それまでの私の生活を考えると、それは遠くて重い言葉でした。その場でカンボジアツアーの参加を決心して、数日後、Global Harmony Dosanko(グローバルハーモニーどさんこ/北海道)の友人に”今度の旅は、見知らぬ人々の中に入って、新しい私を開いていけたら と思っています。ドジはいっぱい踏んでも地雷は踏まないで帰ってきたいので、祈っていてね!”
こんなメールを送っていました。

まさにその通りになりました。ドジをたくさん踏んでしまったのです。でも、個性豊かで優しい方々にささえられ、感動の日々を過ごし、新しい私にも出会えたのです。

ひとつのエピソードを書いてみたいと思います。
それはパームトリーでのひとりの男の子との出会いでした。初めの数日間は孤児院を訪問しても、子供達にどのように近づいたらいいのかわからず、努めて接している私がいました。23日の訪問の時、ひとりのアメリカの女性が子供達にノートと色鉛筆を提供して、絵を自由に描かせているところをみて、私も持参していた携帯用の水彩絵の具セットを出してみたところ、すぐに4,5人の子供達がよってきて、花や飛行機、景色の絵を、それはそれは生き生きと描きはじめました。いつのまにか私も当初の不安が消えて、一緒に楽しみ始めていました。
















そして、その日もあの男の子が、私の左斜め後ろにきていたのです。抱き寄せようとすると、スルリと逃げてしまうのですが、いつの間にか、また寄ってくるのです。ひと包みの折り紙がみんな形になって、子供達が他に散っていった時、ようやく彼は私の前にきて、床に置き去りにされた鶴たちをじっと見つめていました。
「あなたも折ってみる?」と折られた鶴を一枚の紙に戻して誘うと、おおきく頷いて、私に次いて折りはじめました。とても頭のいい子で、一度で憶えて、きれいな折鶴ができあがりました。彼はその鶴と他の子供たちが残していった折り鶴を二つ程きれいにたたんで胸のポケットにしまって、そこをおし抱いて満足気ににっこり笑って部屋の方へ駆けていきました。その瞬間だけでも、彼の大きな瞳の中から哀しみは消えていたように思えました。私の心をホコホコさせてくれた実に暖かい春の日差しのような笑顔でした。そして、それは私にとって何よりものプレゼントでした。

”奉仕ってこういうことなの、、、?”私の新しい感動的な出会いでした。

身体は疲れていても、そんな暖かい気に包まれて帰国して二日後、悲しい知らせが待っていました。夕食の支度をしていた母が脳溢血で倒れ、私が病院に駆けつけた時はすでに混迷の世界に入っていました。医師に2、3日の命と宣告されました。母はこういう去り方を何時も切に願っていましたし、人生を十分味わい尽くして、枯淡の域に住んでいた母を見送る時がきたことを覚りました。そして意識のない母へ伝わると信じて、感謝とともに別れの挨拶を告げました。29日未明、母は穏やかな顔のまま、彼岸の父のもとに旅立ちました。89歳と9ヶ月でした。私の作った下手な料理、アートフラワーの薔薇、水彩画、庭の草花 何でも愛してくれました。親バカそのものの母でした。

通夜、葬儀、ひと七日、ふた七日、、、と多忙な日々がつづきましたが、この度のツアーに参加して、何を見て、また私がそれをどう受け止めたかをお知らせするのも私の役割のように思い、仏事の合間に電話や会ってお話する機会をもちました。そしてその出会いの中から、更にたくさんのサポートを受け、気づかせていただきました。本当に感謝です。

1月16日に母の49日を迎えます。まだこうして母のことを書いたり、想ったりすると涙いたしますが、時間が解決してくれると思っています。カンボジアツアーの感想文の中に、母の死について書くことは少しためらいましたが、私にとっては同じ流れの中にあったように思えて、書かずにはいられませんでした。

セアロ、あみ夏さん、ツアーで出会った全ての方々に、ありがとうございました。

松村 桂子


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その時、私の左斜め後ろにひとりの男の子がいました。彼も仲間に入って絵を描きたそうなのに、手を出せずに他の子の絵をじっと見ている子でした。5、6歳ぐらいで、大きな瞳が印象に残る子で、他の子とはあきらかに違う雰囲気を持っていました。一週間前に母親(両親)を殺され、パームトリーに引き取られてきた4人兄弟のうちのひとりだと洋子さんから聞きました。こちらから誘うと逃げてしまうのですが、わたしには、なんとも気にかかる子でした。でも、その日は時間切れになって、そのままホテルに帰ったのです。

翌朝、ホテルで同室の高松さんが「これ持ってきていたのに忘れていたの」と ひと包みの折り紙を出してきてくださったので、私達はそれを持ってパームトリーを訪ねることにしました。子供達に鶴や奴さん等の折りかたを教えると、夢中になって楽しそうに遊んでくれました。