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ひとりひとりの心の平安について、また世界の平和について真剣に思いを寄せたとき、何かいてもたってもいられないというか、それがどんなに小さな一歩であったとしても動き出さずにはおれない衝動が今の私の中にあります。何ができるのかも分からないのだけれど、今私が応援しているNPOの活動を皆さまにご紹介させていただくことで、ひとりでも多くの方にご賛同、ご支援いただけたら、また、それぞれのやり方、個性でもって動いていけるきっかけとなればという、そんな思いでいます。

先日、カンボジアの子どもたちを交えて、「与える支援から、分かち合う支援へ」というテーマで、すでにそれぞれのつながりの中でいろんな人道支援活動をされている方々と、時間を共有する場がありました。子どもたちは、その後に続くアメリカはサンタフェでのピースキャンプに参加することになっていたので、その途中、日本に立ち寄った次第。(この模様はすでにホームページにアップされていて、たくさんの写真が掲載されています。ページ最後の、参加者・黄瀬さん(美術の先生)のレポートが心に届きます。

彼らは昨年の中頃まで、ストリートチルドレンだった子どもたちです。その子たちとは、今年2月に高松で開催された『ハートエキスポ』でも会っているのだけれど、数ヶ月の間に、また一段とたくましくなった彼らの、なんと眩しいこと。

その時、カンボジアの子どもたちは、ひとりひとり、ストリートチルドレンになった経緯と現在に至るまでの軌跡について話を聞かせてくれました。でもそこで私が感じたのは、同情の類などではまったくなく。
彼らは、アメリカンドリームならぬ、カンボジアンドリームの奇跡を地でいっています。彼らがストリートチルドレンとなった経緯の表層だけを見ればそこには辛い過去があるのだけれど、彼らはいつまでもそこに留まってなどおらず、希望に満ちた目は将来へのヴィジョンを抱き、足はしっかりと今この瞬間の大地につながっている。子どもたちに、自分の存在そのものへの自信を見るようでした。

食べ物でお腹が満ち、安心して眠れる場所があること。自分に注がれている愛に満ちた目があると知ること。正しい行いを学ぶことのできる環境。そこから育つ、自分を取り巻く世界への信頼。希望。自分を律することのできる強さ。豊かな想像力と、人を思いやるやさしさ。思いを行動に変えていける勇気・・・。
 環境が与えられれば、機会が与えられれば、子どもたちはしなやかな心で、自己実現に向けて、ものすごいスピードで、成長という美しい変化を遂げてゆくのですね。
私は、彼らを通して、人間のすばらしい可能性と未来を感じ、何ともいえない感動とワクワクするものを覚えます。彼らのような子どもたちが、これからのカンボジアを、世界を造っていくのだとも強く思います。

こどもに影響を与えるひとりのおとなとして、自分はどう在ることができるのか。そのことについて自覚的に考えいくことは、とても大切なことだと感じます。それは、自分自身の人生についての真剣な問いかけでもあります。
 心から平和を願ったとき、人との真のつながりを求めたとき、自分自身が生きる喜びに満ち溢れたいと切望したとき・・・私はどう生きたいのだろう? どう生きることができるのだろう? 今の私にできることは何なんだろう?・・・ 
 
日々の出会いが、体験が、その人間を造っていく大切な要素のひとつひとつとなる。。。
自分の肉体を通した、生のいきいきとした躍動を通した様々な“体験”の機会を、日本も含めて、いろんな国の子どもたちに体験させてあげたい。うんと自分を好きになって、自分の人生をめいっぱい楽しんでもらいたいし、人とつながる喜びをたくさん味わってほしい。また、確実に自分に備わっている力を知って、それを正しく使う術も学んでもらいたい。そして、私も一緒に体験し、成長していきたい。本当にそう願います。

大切なのは、互いの中に感動が生まれ、双方の自立につながっていく支援のあり方。同情心からではなく、“よいこと”をするためでもなく、同じ人間同士が、同じ地球というステージの大地に立ち、手を、心をつないで、ともに生きる喜びを分かち合えるような、そんな支援のあり方。このことは、日常の関わり…生きることすべてに通じることのようにも感じます。

とはいっても、私自身、具体的にはそれがどんなことなのか、未だはっきりとはつかめておらず、模索の日々…。CGHJの、ひとりひとりの自立と幸福感の体験を目的とした国際協力活動は、そんな私の心に強く、深く響いてきます。

ダイレクトアクション体験は、貴重な生きた経験として、自分に深く刻み込まれます。また寄付金による参加も、この活動の大きな支援となります(日頃何気なく使ってしまう100円も、例えばミャンマーでは、一人一日分の十分な食事が賄えるくらいの価値を持ちます。)。

ひとりひとりの視野がちょっとずつでも広がり、深まっていくことで、世界はぐっと身近なものになるような気がしています。そして、ひとりひとりが自分にできることを勇気を持って行動にしていけたなら、世界は思っているよりずっと早く、うれしい変容を遂げていくに違いありません。

他にも、登り口はいろいろあります。自分を限定することなく、心動かされるもの惹かれるものに自由に触れ、動いてみると、そこには今まで気がつかなかった新たなる自己との出会いがきっと待っています。自らの小さな一歩が、知らぬ間に大きな波を生み、自分自身をも豊かにしてくれる。。。私も、それを味わいたいです。
手から手へ、生きることの喜びが伝わって、広がって、気がついたら戦争はなくなっていた!なんて、最高に素敵だと思うのです。

おたより  <山崎圭子さん>   更新2004年11月
感動の嵐で幕を閉じたハートエキスポの興奮も冷めやらぬ2月10日午前4時30分。高松を後に、アメリカ・日本人のボランティアスタッフ・セアロや孤児達・プリンセスの一行は、関空へと向いました。
 
午前11時10分発。私達を乗せた飛行機は、午後7時過ぎにカンボジアに到着。車中から眺めるプノンペンの街並みは、日本製中古車やスクーターで家路へ向う人々の群れと排気ガスで充満しています。

アパート形式のホテルで旅の疲れを癒した11日の翌朝。私達は、ドリーム孤児院を訪れました。
来日した顔なじみの孤児達に混じり、幼児から少年・少女達総勢44名の子供達が、とびきりの笑顔で出迎えてくれました。
 
セアロやあみ夏さんが車から降りるのを待ち兼ねた様子で、子供達が一斉に取り囲み、仏教国形式の正しいご挨拶をした後に、口々に「セアロ!」「あみ夏!」を連呼しながら抱きついていきます。子供達にもみくちゃにされながら、一人一人を愛しそうに抱き寄せるセアロとあみ夏さんの姿は、親子の対面のようでした。

とりわけ、セアロに抱かれて得意満面の笑顔を見せる幼女は、数ヶ月前にHIVで親を失い、ひとりぼっちで村に佇んでいるところを保護され、ドリーム孤児院に引き取られたそうです。救助が一週間遅れていたら生存が危ぶまれる程の衰弱ぶりで、体調が回復しても暫くの期間は、両親を失い、ひとりぼっちで村に取り残された影響で、表情はこわばり不安に怯えていたそうです。
 
危機一髪でドリーム孤児院に引き取られ、笑顔を取り戻し、未来に羽ばたくチャンスを掴んだ彼女の運命。「幸せになってね」と祈らずにはいられませんでした。
 
セアロへのご挨拶が済むと、孤児達は一斉に私達に駈けよって、とびきりの笑顔でハグしてきました。キラキラ輝く漆黒の瞳に満面の笑みをたたえながら、初対面の私達に憶することなく、身体中で挨拶を交わしてくれる温もりに、ただただ感激!!抱きしめている孤児達からは、溢れんばかりの愛のエネルギーがみなぎり、私の身体にストレートに伝わってきます。
 
純粋無垢な愛の表現に、国境や境遇の壁を超え、人間同士の純粋な心の触れ合いを体験した喜びで、至福の涙がとめどなく流れました。子供達のこぼれるような笑顔は、セアロを介した世界中の善意の寄付金によって、安心して生活出来る場所を確保することが出来たからに他なりません。
 
また、 ドリーム孤児院は、清潔感漂う室内で、子供達が生活するのに最適な環境が整っています何より、ポールさんやケンさんをはじめ、施設で働いておられる方々は、善良で暖かなハートの持ち主のスタッフが勢揃いです。
慈愛で接するポールさん。厳しい愛で教育を施されるケンさん。このお二人の教育方針によって、礼節と道徳心そして利他心と向上心に満ちた人格を形成する為の徹底した教育がなされています。ここでは、真の正しい教育理念に触れる機会を得ました。
 
競争社会のひずみに喘ぐ日本の教育現場には見られない、お手本になるような素晴らしい光景です。孤児院の2階は勉強部屋のスペースがあります。先生のお話を食い入るように聞き、いきいきと学んいます。学ぶ喜びが、傍らで見学している私達にも直に伝わってきます。
 
また、孤児達は自分より小さい子や困っている仲間に対して、親切に接します。細やかな優しい気遣いが自然に出来る子供達ばかりです。このように、孤児達の素晴らしさは舞踊だけでなく、日常生活全域にわたって感心することばかりでした。
 
カンボジアの空気にも慣れた2日目の午前中、ボランティア一行は、チャムチャオにある孤児院(WOV=通称:チャムチャオ孤児院)を訪ねました。人が住める環境というには程遠い、みすぼらしい建物の横に、1週間前から着工を始めたレンガ造りの立派な乳児院が、かなりの形をなし建設が進められていました。
 
ちなみにチャムチャオ孤児院建設の第1回目として、1月の末、カンボジアの子ども達を日本に迎えに来たとき、すでに10000ドルが支払われていたそうです。そして今回、セアロからドリーム孤児院のポールさんを介してチャムチャオ孤児院へ 16000ドル。井戸の資金に4000ドル。チャムチャウ孤児院の食費として3000ドル。ドリーム孤児院の食費として5000ドル。以上が、私達の目前で手渡されました。
 
このほか、ドリーム孤児院の食堂建設費の7500ドルや他の施設支援、次のプロジェクトへの支援も行われています。セアロは寄付金に対して、とても慎重に扱われているようです。一時的な救済の為の援助ではなく、寄付金が将来にまで活かされるような方策を考えておられるように感じます。このように皆様の善意の寄付金は、無駄なく最良の形でカンボジア自立支援の為に活用されています。
 
チャムチャウ乳児院では、HIVの幼い子供達との対面もありましたが、ここの子供達からは、多くの笑顔を見ることは出来ませんでした。それでも帰り際、小さく手を振って見送ってくれました。こうして孤児達との触れ合いで楽しく過ごしたカンボジアの3日間は、あっという間 に過ぎ、いよいよお別れの時が訪れました。
 
今まで、くったくのない笑顔で瞳を輝かせていた子供達が、[than you] [I miss you] 「ありがとう!」を口にしながら、泣いているのです。しゃくりあげて泣いている子供もいました。私達と孤児達は、抱き合い別れを惜しみ泣きました。大粒の涙を流しながら、手を振り車中の私達を見送っていた姿が胸に焼きついています。
 
哀しい過酷な運命の下に、あえなく両親を失い、生きる術をなくし路上をさまよっていたカンボジアの孤児達。彼らは、 セアロとの出会いによって明日への夢と希望を見出し、未来へ羽ばたこうと頑張っています。この孤児達が立派に成人し、いつの日か祖国カンボジアの復興と自立、そして世界の平和の担い手として、大きな貢献を果してくれる事を願って止みません。
 
そして、まだまだ世界中に溢れている過酷な運命に喘いでいる罪のない子供達。ひとりの力は微力でも、小さな愛と善意を持ち寄って、子供達の将来に夢が持てるような環境を創ろうと立ち上がり、行動する人の輪が広がっていけば、地球の未来は明るく輝き出すでしょう。
 
このカンボジアでの体験を通して感じた愛と平和への道を心に刻みながら歩んで行きたいと思います。ハートエキスポでは、孤児達からいっぱいの感動を頂きました。そして、ドリーム孤児院では、愛の原点に触れました。
 
これからも孤児達が成長していく様子を見守り続けたいと思います。そして、皆様も機会があれば、是非ドリーム孤児院を訪れてください。「愛」「真の教育のあり方」「人生で最も大切なこと」本当の自分と真実の幸せを…見つめ直す機会になる筈です。
 
れいか 2004年2月21日
カンボジア人道支援  <参加者:上木 れいかさん>
事業名: カンボジア人道支援事業  2004年2月10日〜16日 
国際ハートエキスポ直後のダイレクトアクションツアー
「光のみなさん、いつもありがとう」
 
☆光のみなさん、いつもありがとう。
 福井 幹です。
 ご無沙汰の方には、失礼をしています。
 日本は春ですね。桜、チューリップ、こぶし....うつくしい季節。
 
 先日はじめてカンボヂアへ行ってきたのですが、
 とてもすばらしかったので、報告させていただきます。
 
☆まず何よりも、子供たちの笑顔。
 生きるか死ぬかというギリギリの生活を、
 何年も余儀なくさせられていたストリート・チルドレンたちは、
 今、愛の天使として、生まれ変わっていました。
 セアロ和尚の『ドリーム孤児院』の子供たちは、カンボヂアの他の孤児たちの
 リーダー的な存在として、育てられています。
 
 親の『愛』をまったく知らなかった子供たち。
 いつも迫害を受けて、殺されかけていた家のない子供たち。
 でも、セアロ和尚の大きな愛に触れて、孤児院に入ることが出来、
 屋根があり、毎日食べるものがあり、警察に追われる心配もなく、
 着る服があり、学校へ行くことが出来、共に学べる友だちがいて、
 厳しいけど、愛に溢れるスタッフの人たちに囲まれ、
 伝統舞踊を学び、もっと恵まれない人たちをもサポートし、
 日々感謝の中、夢を持って暮しているのです。
 
 自分個人の持ち物なんて、全部で両手にかかえられるくらいしか持ってないのに、
 分け合うことを優先し、あの満たされた笑顔。輝く瞳。
 いつも、「何か役に立ちたい」と、スタンバイして、やる気まんまんの存在感。
 あの子供たちが、未来を拓いて行くんだ。
 わたしも、一緒に輝いて、明るい未来を拓いて行くよ。
 
 ☆3月9日に、カンボヂア国立劇場で、『伝統舞踊コンテスト』を催しました。
 
 むこうの王室や文化省との共催で、
 伝統舞踊を愛し、人生の夢を舞いに託して生きている5歳〜15歳の子供たちが
 カンボヂア全土からたくさん集まってきました。
 カンボヂアという国は、内戦、内乱が絶えなかったので、
 17歳以下の子供たちが,全人口の50%以上もいるのです。
 
 わたしたち主催者は、
 『カンボヂアの人たちが、自国の文化に誇りを持って、
 豊かな心を現わしてほしい』
 という主旨でこのコンテストを催しました。
 賞金目当てのお金持ちのグループもありましたが、
 純粋に舞いを愛している、親のない子供たちもたくさん来てくれました。
 
 国立劇場なんて晴れ舞台、はじめての子達。
 イノチをかけて、舞う子供たちの輝きに、何度も何度も涙が溢れました。
 舞うことのよろこびと、一体になって....それは、美を超えたものでした。
 それは、『存在していることそのもののよろこび』でした。
 
 ああ、なんてステキ。
 
 彼らがわたしに与えてくれた夢と希望は大きな大きな愛でした。
 最後には場内が明るい気持ちでいっぱいになり、
 『わたしたちは、一つになる♪』の、大合唱になりました。
 
 このコンテストは、また11月に第2回を催す予定です。
(第2回ハートエキスポの会場はハワイの予定でしたが、カンボヂアになるかも。)
 
 みなさんも一緒に行きましょうよ!
 
 
 ☆3月10日、メコン川のデルタ地帯へ行きました。
 
 ドリーム孤児院の年長の子供達や、プリンセスもご一緒です。
 雨季には、毎年洪水になり、乾季は毎年大地がカラカラになってしまうという
 半農半漁の村へ、大量のお米と衣類とお菓子を、
 2tトラック2台に9tのお米を積んでプノンペンを出発したのですが、
 重すぎてタイヤはパンク。メコン河を渡る船も小さくて、沈みそう。
 
 それでも、泥と埃の中、熱帯大冒険で、その村にたどりつきました。
 約700世帯の村の人達には、とてもとてもよろこんでいただけました。
 
 ドリーム孤児院の子供達も、お米運びに大活躍。
 この地帯を、治水して、安心して暮して行けるような援助を
 政府や私達の国際ファウンデーションでサポートしていこうとしています。
 かなり大掛かりなプロジェクトですが、もしこの地帯の治水が成功すると、
 バングラデシュや、他の似た条件のところへの援助のモデルケースとして
 世界中から注目されています。
 
 今でも世界中で、毎日4万人以上の子供達が餓死して行っています。
 その半数以上が、こういう地帯の子供達なのです。
 
 みんなの愛が届くといいな。
 
 
 ☆HIVの赤ちゃんの孤児院にも行ってきました。
 
 先日の高松ハートエキスポの収益は、この孤児院の建て直しにも使われています。
 新しいしっかりとした建物。新しい井戸。
 短命を運命付けられている子供達には、最高のお米を食べさせてあげる。
 
 そして、このHIV孤児院が自立できるように、
 そこのスタッフの女性たちが、手織りシルクの美しい布を織っています。
 絹糸一本一本、心を込めて、祈りを込めて織ってくださっています。
 カンボヂアンシルクは、独特の光沢と気品があり、
 その布の流通をサポートして、日本でも買えるようになりそうです。
 
 みなさんにも見ていただけるといいな。
 
 ☆ああ、人間ってうつくしい。
 
 そして、もっともっと可能性がある。
 本当の平和が来る。
 それは、わたしたちの心の中に、あるのだから。
 その愛をあらわそう。
 愛をあらわすよろこびを生きよう。
 今、愛を生きよう。
 そこでわたしたちは、いつも、出逢うよ。
 わたしたちは、愛の存在として、『一つ』なのですから。
 
カンボジア人道支援”ダンスコンテスト”  <参加者:福井 幹さん>
事業名: カンボジア人道支援事業 文化復興応援第1回民族舞踊コンテスト  2004年3月7日〜13日 
コンテスト主催:クメール開発財団 
「今回のピースキャンプに参加させていただけ本当にありがとうございました」
 
常に今、自分のやるべきことを結果に執着することなく楽しく取組むというシンプルな生き方の大切さとどんな人の中にも必ずある愛の力の存在をこのキャンプのさまざまなできごとで実感することができました。
 
特に、参加した子どもたちが、日に日に輝きだしてくるのを目の当たりにし、私自身もわくわく楽しい気持ちになれました。
子どもたちを大人たちの愛でつつんであげるだけで、こんなに変われるなんて・・・・
 
要は、子どもの問題は、大人がもっと楽しく輝けば解決できるんだということが分かりました。
これまでに、参加させていただいたミャンマーでの体験と大きく違ったのは、参加者みんなと同じように行動するのではなく、私自身はどう行動するかということに四六時中直面することになったことです。行動したら必ず、次の展開が広がるということも分かりました。
 
「平和みつけ」のワークショップへの、みなさんの真剣な取組みぶりには、本当におどろきました。つたない提案にもかかわらず、みなさん一人ひとりが自分
にとってよりよい時間をつくり出している姿勢には胸が熱くなりました。
 
美術活動は人と人との間にあってはじめて成り立つものであることを再確認できました。私自身のこれからの活動への大きな自信をつかむことができました。
飛行機の欠航により、帰りが一日延びたことも今振り返ると大きな学びの時間でした。フェニックスで立ち往生しているとき、カンボジアの子どもたちが、ハートシード(合宿所)から持ってきたご飯とゆで卵を、私たちにも分けてくれみんなでいっしょに醤油をかけて食べたこと忘れられません。
 
岡吉さんは本当によく動いてくれました。ジェニ吉さんにも、あみ夏さんにも何回もコンタクトをとる努力を惜しまず、ANAやアメリカンウエストとの交渉も根気よく続けてくれました。「やるだけのことはやったね。後は朝を待って再チャレンジだね」とホテルの部屋で岡吉さん話してその日は終わりました。
 
実は、15年前に私がニューヨークへ個展をしに行った時、一週間の個展が終わり、知り合いがいるモンタナのヘレナに向かったとき、同じことがありました。ソルトレークまで悪天候のため時間がかかりすぎ乗り継ぎの飛行機が先に行ってしまったのです。その時は、飛行機会社の人だけでなく、いっしょに乗り合わせた人もみんながとてもやさしく対応してくれました。ホテルの手配と、そして、なんと翌日の飛行機はファーストクラスに乗れました。妻と私の新婚旅行も兼ねていましたが、お金がないので、画廊で宿泊していました。きれいなホテルとファーストクラスの飛行機のプレゼントにとても感激したことを思い出しました。
 
私自身はアメリカンウエストの対応のまずさに怒りの気持ちでいっぱいだったのですが、怒りをぶつけても事態は何も変わらないのでは、この旅の目的をてい
ねいに説明して謙虚にお願いすることが大切なのでは、すべてのアメリカ人が冷たい対応をするわけではないはず...、15年前、感謝の気持ちでいっぱいだった
ことを思い出しました。
 
ちょうどその時、あみ夏さんからの電話がありまた。そして、飛行場では、ANNの人たちはとても丁寧に対応してくれました。担当の方はルンさんが胸につけていたセアロのバッチをみて、「この人知っています。よくご利用されています。」と言っていました。
 
成田では、国際線の乗り継ぎ場所で涙の見送りとなりました。
西岡くんは、「今回の旅のおかげで、これから先どんなことが起こってもたいていのことはだいじょうぶと思えるようになりました。」と言っていました。
上木くんは「学校のキャンプ欠席連絡できているかな。」と。
 
帰りの飛行機の中で、隣の席にいた岡吉さんは、緊張の糸が溶けたのか、なんと6時間にわたり、私に集中講議?をしてくれました。飛行機の中で一睡もしな
かったのは始めてだとか・・・・。岡吉さんのおもしろくってためになる講議に私も楽しい時を過ごすことができました。
 
本当、ありがとうございました。セアロワールドの醍醐味、ちょっと味わわせていたたけかかと思います。
また、お会いできる日を楽しみにしています。
 
2004 .7 .24 黄瀬
Heart Expo Club 合宿 in Santa Feレポート-1 <参加者:黄瀬重義さん>
事業名: アメリカ青少年ピース合宿  2004年7月15日〜21日 企画・運営: Heart Expo Club
「ピースキャンプについて」
僕は、前回行われたCEALOグローバルハーモニージャパン主催のハートエキスポというイベントで、平和についての作文を書き、それを提出した。それで、その作文が、特別賞を受賞したと聞いたとき、嘘かとも思ったが、どうやら本当みたいだった。
 
その頃僕は、中学校二年生で、二月ごろにそのハートエキスポに出ることになり、正直、最初は面倒くさいとも思ったが、面白そうなので、参加してみた。そこで行われた世界平和子供会議というのは、むしろ、世界平和子供遊び会みたいに思えた。しかし、その頃は、まさか、アメリカに行き、ピースキャンプをするなんてのは、僕の想像を、はるかに超えていた。
 
中学三年生になり、ちょっとした頃に、いきなり7月10日くらいから、アメリカに行くことになったと言われて、本当にびっくりした。前々からどこかに行けると聞いてはいたが、まさかこんなことになるとは…。というのが本音でした。
 
 最初の二日間は東京らへんにいて、三日目に、アメリカに成田空港から、行くことになっていた。東京でも色々あったのだが、今回は違う話なので省きたい。で、飛行機に乗ることが、生まれて初めてなので期待していたが、正直最悪だった。約9時間という長時間の間飛行機に乗っていたら、暇で暇で死にそうになった。サンフランシスコについたときは、心底安心したものだ。で、サンフランシスコから、フェニックスにまた、飛行機に乗って行き、そこから、その日はホテルに泊まって次の日にグランドキャニオンを目指していくことになった(この間に三人一緒に行く人ができた)。
 
 途中で立ち寄った休憩場の山々や、インディアンの住んでいた住居跡がある池(湖?)みたいな所もすごかったが、やはり、グランドキャニオンは、格が違った。そこからまたフェニックスに戻り飛行機で、ニューメシキコから、サンタフェに行きました。
 
 最初の日は、ご飯が用意されていた。その日の夜にピースキャンプの大体のメンバーが集まった。リディアン(リリアン?ちょっと発音が難しい。)を大統領として、それを中心に、メンバー構成された。キャンプの内容は大人と子供が逆になるもので、子供が、朝昼晩の飯を作り、大人は、何やらお皿に絵を描いたり箱を作ったりしていた。
 
そして、ご飯を作ったことがあまりない僕だったが、みんなのサポートもあっていがいと、料理は楽しいものだなと思うことがあった。その頃は、もう、最初のような面倒くささはなくて、考えは、どうやれば、皆とコミュニケーションがとれるかにいたっていた。
 
事実、こっちは英語が分からないし、向こうは、日本語が分からないし、カンボジアの子は、中途半端に両方できるので、頼っていいか微妙なところだったので、本当に困った。と思えば、割とすんなり通じることもあってなかなか言葉も面白い物だと思った。必ず通じる世界各国で共通のジェスチャーといえば、首を縦に振るか横に振るかで、あとは、笑顔と困った顔だった。笑うことはお互いにもできるので皆で笑ったりすることもあった。
 
でも、コミュニケーションに困ることはあった。しかし、お互いに理解しようとすれば伝わるもので、三日間なんとか、過ごせた。まぁ、子供が大人になってすることは、料理くらいで、基本的にはプールで遊んでいた。ふと、帰ったら水泳大会があることを思い出したが気にしないことにした。
 
 大人と子供の共通の課題の、国歌作成と、国旗作成は、なかなか大変だったが、キャンプの、4日目には、夜のかくし芸大会的なもので国歌は歌うことになった。日本人は、上木航君の、若い声を生かした『翼を下さい』を歌った。
 
 その日に、主催者のガユーナ・セアロさんの、料理を食べた。昔は料理人をやっていたということで、おいしかったが、航君は、泣くほどおいしいと絶賛したが、泣くほどか?と思った。かなりオーバーな性格だったので、さほど気にはしなかったが、大げさなやつだと思った。また、セアロいわく、これが、最初で最後の料理らしい。
 
 次の日は、アメリカをたつ事になった。まぁ、全員ではなく、日本人の黄瀬さんと、岡根さんと、僕と、上木航君とカンボジアの子供たちで、ニューメキシコから、アリゾナへ、そこからサンフランシスコに行くことになった。そこから帰国なのだが、やはり、簡単には、アメリカは日本へは、帰してはくれなかった。フェニックスから、サンフランシスコ行きの飛行機が一便決行になった。航君は、持ち前の心配性を限界まで生かしていた。
 
 でも、それはそれで、僕にとっては勉強になった。これによって、大抵の事では驚かない強い精神力(?)を得ることができた。まぁ、何とか交渉して(岡根さんが)サンフランシスコに一泊して、そこから日本に帰ることができて、よかったと思った。
 
ピースキャンプは、いろんなことを僕に教えてくれた。言葉が分からなくてもお互いに分かり合えること。いろんな国から来ている人たちと、いろんな状況な人たちと、心の持ちようで笑顔でいられること。戦争で卑屈にならずに、自分が幸せな気持ちでいられれば、いつかは、幸せが訪れること。そんなことをセアロの言葉や、カンボジアの子供達の姿を見ていて学んだ。
 
このキャンプは、僕にとって本当に実りのあるもので、行って良かったと思った。皆と一緒に学んだこと。セアロから、聞いたいろんな言葉はとても僕の心に残った。また、別のピースキャンプ(パレスチナとイスラエルの子ども達合宿)を訪れた時なぜ皆笑うとこんなにも輝けるのに家族や兄弟を殺され憎しみや悲しみで涙を流さなければいけないのかと思った。
 
そして、いろんな、カンボジアの子供たちなどの行動を見て、国が豊かでも、日本は、本当に豊かと言えるのだろうか。戦争をしている国も、また、豊かな国も人の心が豊かなら、戦争はきっと終わるだろうし国は、もっと豊かになるだろうと思った。一人一人の意識が高まれば、戦争なんかしなくてもいいということ。
 
例えば、国の首謀者達が、戦争をしたくても一人一人が、きちんと自分の意志を持っていれば、その国に兵士がいなくなり、戦争なんかできなくなるし、また、戦争をしようとする首謀者を選ぶことがないと思う。と僕はそう思った。
 
まさに、今回のピースキャンプは、それの小さい国版だと思った。まだまだ完璧な国とは言えなかったが、立派な主導者もいたし、僕としては、もう少しみんな一人一人の意識を持ってほしいと思ったが、皆本気で国を作ろうとしていたのだろうと思った。正直、この国の大統領は、現アメリカの大統領(あえて名前は出さないが。)よりは、とてもよくできたすばらしい人だと思った。
 
初めは、乗り気はしなかったが、正直本当にこのピースキャンプに参加できてよかったと思う。今回のピースキャンプで学んだことをこれからの生活の中で生かせれたらいいと思う。
 
また、なぜかセアロに「彼(僕)には総理大臣になってもらおうと思っている。」と言われたが、僕がなる以前に、アメリカの国民がアメリカ大統領を選べるように、日本でも、日本の国民が、直接選挙ができる世の中になったら、まぁ、考えてもいいかな。と思う。
 
また、是非このような機会があったら、参加したいと思う。
 
追伸。帰国後行われた水泳大会では、100メートル平泳ぎで三位入賞し、中国地方の大会に出られることになった。リレーでも三位になれて、もうバッチリだった。     

 
著 西岡伸朗
Heart Expo Club 合宿 in Santa Feレポート-2 <参加者:西岡伸朗君>
事業名: アメリカ青少年ピース合宿  2004年7月15日〜21日 企画・運営: Heart Expo Club
「子供ピースキャンプに行って」     
 
僕はこのピースキャンプに行って,始めはとても緊張したけど、ちがう国の子供達と言葉で通じなくても,心でつながりだからこそこのピースキャンプという子供と大人が逆の立場になった状況で、力を合わせ,手を取り合い、そして人々が心からふれあえるということができたのがとてもいい体験になったなあとおもいました。
 
それから,今回のピースキャンプをしているうちに、半年前のハーエキスポの時に考えた平和とはまた別の考えがうかんできました。それは、自分の中だけで平和を考えるだけじゃなくて,人々とふれあって行くことでお互いの考えのいい所を交換し合うことで自分が生きていく上でプラスにしていくということです。
そういった意味でも今回のピースキャンプはとてもよかったとおもいます。
 
それから今回の目的である「自立」について感じた事は、カンボジア、アメリカ、日本の子供達と大人としてふれあい、生活していく中で、自立はその字の通自分の今までの経験を生活していく中でも活用し、自分に責任を持つ事だと思います。本当にこのキャンプに参加して良かったと思っています。 
8月8日 
 
上木 航-
Heart Expo Club 合宿 in Santa Feレポート-3 <参加者:上木航君>
事業名: アメリカ青少年ピース合宿  2004年7月15日〜21日 企画・運営: Heart Expo Club
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