ヌワラエリア村のお話
(更新:2006年4月)
津波被害から始まったスリランカ支援。この津波被災者支援からたくさんの学びがありました。「支援」とは何か。国や国単位で行う救済、救助は必要だと思いますが、復興、自立に、いろんな意識で多くの団体、個人が支援のために押し寄せたスリランカは、今も揺れ続けています。

(中央:スブーティ師、中央右:ガユーナ.セアロ)
私達は、現地の大きなNGO団体を紹介されたので、そこを通じて被災地を訪れました。そこで出会ったのがスブーティ僧侶です。被災から3ヵ月後。その時に聞かされたショッキングな出来事。それは支援団体を巡っての醜い宗教争いであったり、どれだけ自団体が貢献したかの自慢大会...。
そして...、某有名慈善団体(一つや二つではありません)が、改宗目的で家を建てているという現実。(宗教を変えたら家を建ててあげる云々。スブーティさんは、団体の代表として、毎日、毎日、何時間もかけてあちらこちらの被災地を訪れ、外国の団体や個人から取り付けた支援の実現を続けていました。

2005年3月訪問
(左:最初の支援では、キャンディー配りとブロック製作所計画提案のみして帰ったガユーナセアロ)
(右:2ヵ月後、支援の入らないイスラム地域では、ブロックを作り家を建て始めていたが、他の地域は建ててくれる団体と政府の動きを待って何もしていない状態だった)
セアロは、与えるだけではだめ。被災は気の毒でも、その状況から本人がどう立ち上がるか、立ち上がったら応援してやるのが本当の仏教だと伝え、与えて取引にしてしまうような支援の渦に気をとられ、負けじと家を建ててあげるというのはやめるように諭しました。スブーティさんは、すでに困難続きで壁につきあたっていましたので、すぐに理解され、「良いことではなく正しいことをする」、と言う言葉が深く心に残ったそうです。セアロはこの団体の家を建てる支援を依頼されて現地入りしたものの、その必要性がないとみなしたため、セメント製作所を作りました。自力で立ち上がるきっかけを与える支援に切り替えました。
しかし、与えられることに甘んじてしまった人々を方向修正するのは至難の業です。計画しても、必要なければしない、それがセアロ流ですが、最初の入り口が違っていたため、スブーティさんは間違いに気づいてもやり終えなければいけません。そんなことで、スブーティさんは1年間働き続けながら多くの学びをされたそうです。
その間、セアロも何度か現地を訪れ、スブーティさんはセアロのダイレクトアクションを少しずつ知ることになります。本当に大切なものは何か。いいことではなく正しいこととは。甘やかすのではなく自立を支えるのにはどうするか。ある日、スブーティさんがヌワラエリアのお寺にいると、近くの村の人が尋ねてきたそうです。

2005年6月訪問
それは学校の先生と村の責任者。彼らは、ある貧しい家族を助けるために家をみんなで建てているというのです。12年前に夫を亡くしたお母さんと2人の娘、そして高齢のおじいちゃんは貧しい村の中でも特に貧しい環境で暮らしています。家はビニールと竹の家。
女手一つで長らく苦労しているので、村の人がお金を出し合って家を建てているというのです。また、先生は子ども達の人を思いやり助け合う心を育てる教育をと、この計画に子ども達が参加しているとのこと。スブーティさんが現地に行ってみると、本当にひどい家。そして皆が一つになって自分達で建てている。しかし、限界があって家を完成することができず、資金がこれ以上集まらない、というところでスブーティさんに相談があったということです。
スブーティさんは、すぐにセアロを思い出され、あぁ、自分がやらなければいけないのはこういうことだ、と覚られたそうです。セアロがNGO団体にではなく、彼に持っておくようにと渡したお金を全部その家につぎ込み支援を始めました。NGOのプロジェクトでは1軒あたり400,000ルピーの予算で100軒の家を建てていますが、住民は様々な要求をしてきています。一方この村では皆が自分達でやっているから200,000ルピーですむ。
恩恵を受ける家族も、皆に助けられ、感謝の気持ちでいっぱいということが伝わってきます。スブーティ僧侶は、団体の責任者として活動は続ける一方、誰にも知らせず自らの小さなNPOを立ち上げました。自分の意思と判断で動けるよう、彼の賛同者と共に、ダイレクトアクションを通じた真の慈悲の人道支援を続けてくことに決めました。更に一人ひとりがつながる支援を行おうとするスブーティ僧侶と共にこれからもスリランカ支援を地道に続けて生きたいと思います。

(上左)4人が住んでいるS.M.Vilot Kumariさん宅 (上右)4人の家族とHavaeliya村の人々
2006年3月訪問

(左)スブーティ師とガユーナセアロ、手伝いをしている子ども達