<更新日2005.8>

日本人学生(中部大学NPOセンター)の国際交流事業へ協力

日本の若者、がんばる!!


愛知万博にて行われる国際交流事業「地球子ども交流2005」の準備を行っている中部大学NPOセンターの学生2名が当団体の人道支援事業へ参加することになりました。彼らは、この夏、世界の子ども達を集めて、交流合宿を考えています。当団体が2004年に実施した、ハートエキスポ事業、青少年合宿事業を聞いて、協力要請をしてきました。

私たちが行っているのは、人と人、心と心がつながり、分かち合う国際協力です。それを実感できる場の提供として、イベント等を行ってはいますが、それはあくまで地道に賛同者に報告を行い、理解と協力を促すことを重ね、そして、途上国でも継続した支援と信頼関係を築いてきた土台があるから交流の場を持つことができ、呼びかけに対して協力や参加を得ることができるものです。

そのプロセスをなくして、交流は形のものでしかなく、数日の間に思い出はできたとしても、果たして真に心が触れ合う感動や次につながっていく強い力になるものだろうかと疑問です。

ましてや、知らない日本に途上国の子ども達が、外国の子ども達と寝食を共にするわけですから、様々な不安材料もあるでしょう。また、途上国の子ども達は、普通の家族であれば、人身売買されるのではないか、安全に帰ってくるだろうか、帰ってきて日本への羨望が強まらないだろうか、といろんな心配をして当然です。迎える側も、その子ども達が母国でどんな暮らしをしているかを知らないで、日本に迎えることはとても危険を伴うことだと思います。そこに、双方の理解や信頼関係が築けていなければ、簡単に年頃の子ども達を日本に連れて行くことは難しいと思います。

日本の学生から協力要請があったとき、まず自分達で子ども達のいる国を訪ね自分達でやるように勧めました。彼らの事業企画について色んな説明を受け、具体的に依頼や質問をされましたが、すべて断りました。『あなた達が自分でするというなら支援しましょう、でも、経験が無いあなた達が、今依頼してきていること、自分達が何を頼んでいるのか、聞いているのか、それさえも分かっていないでしょう』、と。手続き一つにしても、途上国で行うことの大変さも分からずして人に頼むのではなく、経験の無い彼らだからこそ、自分達で全てやってみることを促しました。

どんな場面においても、協力が依存に繋がることはしないことが私たちの基本姿勢です。厳しく突き放された彼らでしたが、時間がかかっても形にならなかったとしても、自分達でやってみたいという彼らに自立の可能性を感じ心動かされました。日本の学生も捨てたものではない!と頼もしく思い、やれるところまで協力しましょう、ということから始まったのが今回の事業協力です。




カンボジア編

体当たりでチャレンジ!⇒大成功!


カンボジアでは、当団体の海外特別会員でもあるプリンセス・カンタレスとクメール開発財団の協力を要請しましたが、いずれもほとんど下準備を行わず、まずは学生達がどのようなやる気と行動力で動くかをみることにしました。

アポイントのみを現地協力団体と取り、彼らの事業を自らプレゼンテーションするところから始めました。

彼らにもあえてさほど具体的に予定を伝えることなく、本当に体当たり。到着直後にいきなり紹介を受けたのは、プリンス・シソワットとプリンセスでしたから、かなり緊張したのではと察します。その日のうちに、上院の事務所を借りて、プロジェクトの説明と何を求めているのかを具体的に協力要請しました。

快く協力を受けることが出来、日本の若者が自分達で頑張っていること、カンボジアまで足を運んできたやる気に、現地の協力者も喜んで手を貸してくれることになりました。

翌日には、希望通り、20名の大学生、30名のプロジェクト参加を志願する子ども達が集められました。彼らの計画では、各国に自分達と直接つながって、現地連絡担当と子ども達のグループリーダーを勤めてくれるスタッフ大学生を1名選出すること、13〜15歳の趣旨に相応しい子どもを数名選出し、8月に計画している1週間の合宿へ招待することです。

上院の会議室を提供されたのには驚きましたが、プノンペン市内から優秀な学生、子ども達が集められ、日本の学生達もプレゼンテーションや質問を行ったり、参加態度を審査するなど、戸惑いながらも(しかられながらも?)頑張っていました。

優秀な子ども4名(男子2名、女子2名)と、熱意ある大学生1名を早速ここから選出することになりました。子ども達には参加してもらいたい、でも、形にこだわった成功に執着すれば、参加意欲のある子どもではなく、誰でもいいから数をそろえなければ、ということになりかねません。そうすると、子どもや親に、来てください、と頼まなければならず、挙句には、あれこれと要望や苦情を言われると対処できなくなってしまいます。

来たいなら歓迎する、でも来るのならこれを一緒にやるんですよ、ということが明確に正しく言えない関係で進めると、もはや平等な関係の交流ではなくなってしまいます。そこがずれると、目的の違う子どもを連れてくる事につながり、トラブルにつながるのではないでしょうか。外国から人を招く交流事業では、逃げ出したり不法滞在するトラブルが多いと聞きます。それは、大切なところを人に任せたり、予算を削ったり、結果を作るため形をそろえよう、数を増やそうとする気持ちからずれていく、ということを経験から学ばされました。それを繰り返さないためにも学生たちが経験している最中に言及を続けました。

経験に勝る学びはありません。教科書やバーチャルでは味わえないものが身につくのです。日本の学生達はとても純真で、急速に成長していくのを見せてくれました。人道支援のために訪れた数箇所の村でも、プノンペンから選出した大学生と子ども達にも参加させ、一緒にダイレクトアクションに積極参加していました。

村からも4名の子ども達を招くことに決め、カンボジアからは8名の子どもとスタッフ大学生1名、そして通訳に在カンボジアの日本人を含め10人です。地元の協力者から大きな応援を受け、今も準備が進められています。彼らの熱意が伝わったのか、現地でも選出された子ども同士連絡しあい、街の子ども達は村の子ども達のサポートをしているとのこと。

ダイレクトアクションを通じて、街の子ども達は見たことも無い村の貧しい子ども達の様子を目の当たりにしました。英語が堪能に話せる恵まれた環境の子ども達に比べ、村の子どもは英語は話せませんし、きれいな服は制服1着だけ、旅行に出かけるならビニール袋へ物を入れて出かけなければならないような家庭環境でしょう。それをカンボジアの子ども達同士、また周りの大人がどう助け合うのか、これもカンボジアにとっては大切な準備課題です。






ミャンマー編

求めたものはなんだったのだろう... 一体、平和ってなぁに??


カンボジアを訪れた一行は、ミャンマーへ向かいました。ミャンマーは、政治、システム、設備や物質的な環境からすると、更に国際的なプロジェクトを実行するには難しいことが予測されます。普通どおりに行ったのでは、8月実施の会を
5月に準備することなど、とうてい無理なお話のように思われます。

例えば連絡用のメール一つにしても、電話にしても、全て国によって管理されているのです。電気も私たちの滞在するところは1日2-4時間使える程度で、全く無い日が続くこともあります。物がないから、頼れるもの、証明できるものは「心」、「つながり」、「人と人」、そういう中で生きているのががミャンマーの人々であり子ども達です。

これまで培ってきた信頼関係があるので、協力や信頼を得るのは全く難しいことではありません。しかし、ここも日本の学生達には生で味わってもらいたくて、地元協力者に到着して即直接話をしてもらいました。ミャンマーでは、何を行うのでも地域の長老(僧侶)が何よりの力を発揮します。智慧と、勇気と慈悲の心を持つ僧侶は、人々にとって何よりの心のよりどころであるからです。

一生懸命話をする学生に、「君達のような人が子ども達の平和のためにこんな素晴らしい計画を立ててくれて、こちらがありがとうを言いたいよ」と、あたたかい言葉で全面協力をしてくださったウ・ザナカ長老。早速、優秀な子ども達と親が集まりました。

「世界の平和を考えて、子ども達が平和を見出せるような計画を立てています。この中で、世の中をもっと平和にしていくにはどうしたらいいか、平和について感心のある子はいますか?」
そんな問いかけに、集まった子どもはぽかーんとして誰も手を挙げません。

『えっ??』思わぬリアクションに困り果てる学生達。

「では、日本に行ってこの計画の合宿に参加してみたい人」
全員が元気よく手を挙げました。

ほっとしたところで子ども達の発言を聴くと、
「世界は良いものも悪いものもある、大きな村だと思う。」
「ミャンマーでも沢山の民族が一緒に住んでいて、言葉や文化、宗教が違ってもみんな仲良くくらしています。」
「夢を叶えるために、朝起きたら仏壇のお水を替えて、両親の手伝いをし、兄弟の面倒をみます。」
「お祈りや瞑想をして心を平和にいつもしています。」

堂々と、行儀よく、意見を次々に発表する子ども達、価値観、生活観が全く違う子ども達をみて、少したじたじの学生達。全く選択できる余地が無く、支援物資の仕分け作業を手伝ってもらい、その行動、態度、リーダーシップなどを観察することにしました。手伝いも段取りがよく、知恵と経験のある賢い子ども達に感心するばかり。しかし、中でも感がよく働き、人に対する優しさが特に見られた子どもを選出することにしました。

学生達は、まるで「平和ってなんですか?」といわんばかりに、最初の質問に全く反応しなかった子ども達には驚いたようでした。子ども達と触れてみて、価値観の大きな違い、また平和な人々にとっては、「平和」に関心があるかと言われても答えられないのだろうと理解した彼ら。それにしても、行きたいがために、何でもハイ、というのではなく、分からないものは分からない、と示すミャンマーの子ども達は立派です。

日本に行くまでに準備しなさい、というアドバイスに、日本語、英語が出来るミャンマー人は、8月まで毎週クラスを開くと申し出ました。早速日本語、英語のクラスが始められ、学生達がいる間も、手伝いや勉強のためにお寺に来ては時間を過ごしてかえる子ども達。選出されなかったのに、自ら進んでクラスに参加している子どもまでいます。

「今となって言えることですが、子ども達に触れもせず、体験せずして、よく子ども達を選んで連れて来てくれなんて自分達も頼んだものだなと思います」。日本の学生が語ってくれました。それが理解でき、素直に受け止められて素晴らしいと思います。



タイ編

ダイレクトアクションの大切さ


カンボジア、ミャンマーと、協力者を得、子ども達も選び、まだまだパスポートや日本へのビザの申請など、日本の若者には想像もつかなかった関門が待っています。全てが便利で早く、与えられながら全てがそろう、日本という環境と、アジアの途上国では随分異なります。各国の経済野生背景によって、国民であっても自由にいきません。その上、日本がいかに途上国の人々に対して扉を閉ざしているか、立場に立ってやってみればわかります。

それを実際に経験し、難しさが分かった上で、「ご縁のあるタイ、スリランカからも子ども達が参加できるよう協力して欲しい」と学生は私達に依頼を改めてしてきました。今回は、OKです。彼らがそれだけ頑張るのであれば、私達も出来る限りの協力をしましょう。ミャンマーの滞在を数日切り上げて、当初予定していたスリランカへ向かう前に乗継先であるタイへ子ども達探しに滞在することになりました。

タイは、これまでに支援として訪れたことがありません。正しいつながり、正しい子ども達に数日の間にめぐり合うのは大変です。日本に帰った学生に、1人でもいいから、プレゼンテーションしに2日でもいいからおいで。そう国際電話で伝えると、1-2日のうちに準備してとんぼ返りしてきた学生。ダイレクトアクションが身についてきたようです。

最初の渡航には、彼らが決意してから2-3ヶ月の準備期間が在りました。そこでもあれこれ不安があったようですが、今度は迷うことなく、たった2日でタイにやってきた学生です。早速知り合いを通じて紹介してもらった村へ子ども達に会いに行きました。

カンボジアともミャンマーとも異なる村の様子、街の様子。街は驚くぐらい開発が進み、バンコクはいまや東南アジアの中心都市です。また、タイの人々に聞けば、人は物質欲、競争意識が強くなりすぎて、心を失ってしまった。。。と。発展するとは、開発するとは、どういう意味なのでしょうね。

ミャンマーの知り合いからの紹介で、子ども達が沢山いるお寺があることを聞き、訪ねてみました。とてもいい子達ばかりでしたが、残念ながら、その子ども達には国籍も、難民という指定さえもない孤児達だということ。いつ生まれたのか、どこから来たのかも分からない。ミャンマーから行き場をなくした難民達が保護されるお寺でした。誕生証明すらありませんから、パスポートの取得など無理です。ミャンマー人でもタイ人でもない子ども達。これも世界の現実です。こんな子ども達がいなくなる世界にしよう、そう学生と話しました。

そこのお寺の紹介で、ある村を訪ねることになり、そこでもお坊さんが協力してくださいました。子ども達に出会い、僧侶と村の人々の理解を得、2名の女の子を選出することに。ただ、男の子は見つかりません。日にちが過ぎ、タイはあきらめなければいけないかな、と言っていたところに、カンボジアのプリンセスから電話が入ります。青少年の国際交流を積極的に行っているお寺が、参加を希望していると。残念ながら、日にちがなくなり、日本の学生は帰国。私達はスリランカへ向かわなければいけません。出発間際ぎりぎりで、そこの僧侶と会い、話しをしたところ、「日本はアジアのリーダーだった、今までは経済を引っ張ってきたけれど、今度は日本の若い世代がきっと私達をまた世界の調和、心の平和の方向へ引っ張っていってくれるのではとずっと信じていた」と、待ち望んでいた様子でした。

誠意を持ってタイの子ども達と日本の学生に全面協力したいという僧侶に、全てをお任せし、私達がスリランカから戻る1週間後、乗り継ぎにタイへ1日よるので、その時までに趣旨に会った子どもが2名見つかり、リーダー役を務める大学生が見つかっていれば、タイにも参加してもらうことにしました。結果、一番最後になったタイですが、パスポートの取得も1週間後には全てそろい、選出された子ども達、保護者、2箇所の責任者のお坊様と面会し最終決定をすることができました。

日本の学生も、ダイレクトアクションの旅で大きな学びをし、彼ら自信、もう形や数、描いた結果にこだわらず、お互い依存しない関係、心が繋がり、ともに成功を築き上げようと意欲のある人や子どもに会わなければ、途中であっても執着せず、すみやかにあきらめる、ということがしっかり身についていました。精一杯やって、だめだったら仕方ない。でもプロセスや経験は何よりの宝、そう心から思える若者に成長しました。そこで、最後に素晴らしい出会いに繋がったようで、結果よしということになりました。よかったですね。

今度は、会うことが出来なかった、でも心の繋がりはある、それを実感した相手と、メールを通じて連絡を取り合い、次のステップの準備中です。




スリランカ編

立派なお父さん、生き生きした少年


第二回目の訪問となったスリランカ。支援事業もまだまだ大変なところで、この学生達の依頼が実現できるかどうか、到着するまで疑問でした。しかし、前回の訪問レポートにあるように、決して誇りを失わず、出来る限り自分達でやる、という人々と出会うことが出来ましたので、今回この話をすると快く協力してくれることになりました。被災地を訪れ、調査をし、新しく中央山岳部の支援も進めようと毎日精一杯動き、話し合いながら、同時に子ども交流事業参加のための子ども達選出を進めました。

コロンボ、南西部沿岸沿いの地域(津波の被災地)、中央山岳部から、それぞれ優秀でこの事業に関心のある子どもが集まり、4名と、大学生1名を選出しました。特に、大学生はやる気のある青年が多く、普段から福祉ボランティア活動をしている学生たちで、選出に苦渋しました。最後は、集まった子ども達に投票してもらい、参考にして決定。現地の人道支援を協働しているNGOのスタッフが自費で保護者として同行してくれることになり、スリランカも堂々参加です。

選んだ子どもの中には、津波によって家どころか、全ての姉妹兄弟を亡くした男の子がいました。お父さんがしっかりした方だったので、それが選出の一つのポイントにもなりましたが、本当に立派な方だったのだと認識しました。たった一人残された子ども。。。それでも外に出して育ててやりたい、そう願う親を持つ彼は幸せだと思います。彼が日本で沢山の兄弟を見つけてスリランカへ戻ってくる日が楽しみです。




非営利活動事業/奉仕活動の普及啓発事業
ダイレクトアクションの応援事業





日本の学生



学生からのメール










緊張のプレゼンテーション







































難民の子ども達のいるお寺




決定した生徒達




































参加予定の少年
2005.11〜石川県白山市立明光小学校3年1組のダイレクトアクション応援